こころのペリカン便り

Column

【心療内科/精神科医の名著紹介】 『看護覚え書』(フロレンス・ナイチンゲール著)に見る「こころ」 #15

今回は、『看護覚え書』(フロレンス・ナイチンゲール著)に見る「こころ」の15回目です。

 

 

よろしくお願いいたします。

 

 

 

(P228 補章 看護婦とは何か より)

 

 

ところで看護婦は、これと同じように、患者の顔に現われるあらゆる変化、態度のあらゆる変化、声の変化のすべてについて、その意味を理解《すべき》なのである。

・・・(中略)・・・

私の知っている最も優れた観察者、彼は精神病者たちとかかわって成し遂げた仕事によってヨーロッパじゅうから感謝をあつめている男性であるが、彼は一見したところただぼんやりしとしているように見える。彼は半ば眼を閉じて椅子にもたれているだけである。そして、そうしている間にすべてを見、すべてを聞き、すべてを観察する。そして人びとは、二十年も生活を共にしてきた人たちよりも彼のほうが、自分について良く知っている、と感じるのである。精神病者たちに及ぼした驚くべき影響力を彼にもたらしていたものは、このすぐれた観察能力と、観察した現象に含まれている意味を理解する能力とにほかならない、と私は信じている。

 

精神医学において、「観察」は非常に重要なテーマです。

 

近代精神医学の幕開けに関わった最重要人物の一人に、エミール・クレペリン(Emil Kraepelin)というドイツの精神科医がいます。

今の精神科の治療と言うと、薬物療法や精神療法(カウンセリング)がありますが、クレペリンが活躍する19世紀にはそもそもそういった治療法はもちろん、そもそも、精神疾患の診断、分類など、基本的な概念すらない時代でした。

クレペリンは、精神病院にいた多数の患者さんをひたすら診続け=観察し、精神疾患を分類し、現代にも至る二大精神病(統合失調症と躁うつ病)の概念を構築しました。

クレペリンの、患者さんに起きている症状をそのまま記述するという手法、学問を記述精神病理学と言いますが、これも現代まで引き継がれている基本的な精神医学の方法論となっています。

現在でも、精神科医になるとまずは患者さんに起きている症状を正確に記述することから学びます。

その眼を養うことで、患者さん全体を理解することにつながるからです。

人を理解するということは、色眼鏡なく、その人を観るということなのです。

 

「観察」という言葉を見ると、もう1つ必ず思い浮かべるフレーズがあります。

それは、ハリー・スタック・サリヴァン(Harry Stack Sullivan)が唱えた、「関与しながらの観察(participant observation)」です。

もともとは、文化人類学の参与観察という調査法で、観察者(研究者)自身が研究対象に参加して、データを収集するもので、それをサリヴァンが精神医学に取り入れました。

サリヴァンは、精神医学において、患者さんに対して完全な独立性、非影響性を保ったまま観察することは本質的に不可能であり、むしろ積極的に関わるなかでその人を観て理解することが治療的であるとしました。

サリヴァン自身、統合失調症(の時期があった)であったとされていますが、サリヴァンは勤務先の病院で自身の体験と理論に基づいた病棟を運営し、まだ薬物療法のなかった時代にもかかわらず、統合失調症の患者さんを治療したとされています。

サリヴァンの理論は、現在は対人関係論という名称で研究されています。

 

ここに登場している男性が今でも名前が知られている人物であるか、勉強不足のため知らないのですが、まさに天才ですね。

まだ近代精神医学の概念すらない時代に、すでに本質を見抜き、遂行していたのは、驚愕の一言です。

そして、それ全体を見抜いていたナイチンゲールも、改めて歴史に名を遺すにふさわしい人物ですね。

 

 

(次回に続きます)