こころのペリカン便り

Column

【心療内科/精神科医の名著紹介】 『看護覚え書』(フロレンス・ナイチンゲール著)に見る「こころ」 #14

今回は、『看護覚え書』(フロレンス・ナイチンゲール著)に見る「こころ」の14回目です。

 

 

よろしくお願いいたします。

 

 

 

(P227 補章 看護婦とは何か より)

 

 

この世の中に看護ほどに無味乾燥どころかその正反対のもの、すなわち、自分自身はけっして感じたことのない他人の感情のただなかへ自己を投入する能力を、これほど必要とする仕事はほかに存在しないのである。

心理療法の一大流派に、来談者中心療法(Client-Centered Therapy)があります。

これは、カール・ロジャーズ(Carl Ransom Rogers)というアメリカの偉大な心理療法家、研究者が20世紀中頃に提唱しました。

来談者=クライアントに対して指示したり、心理を解釈するのではなく、来談者に中心を置いて共感的な態度で望みましょう、とするものです。

ロジャーズがカウンセリングにおけるクライアントのパーソナリティー変化に寄与する条件として、「共感的理解」「無条件の肯定的関心」「自己一致」というセラピスト(カウンセラー)の3つの条件があり、心理の世界の人間なら誰でも知っているくらい有名です。

ナイチンゲールが述べている能力は、「共感的理解」に近いように思います。

「共感的理解」とは、クライアントの内面をクライアントの立場に立って理解するというものです。

共感という言葉は、いまや社会に広く用いられていると思いますが、真に相手に共感しようとすると、実はかなり難しいことがわかります。

疲れる、怖いという表現も当てはまるでしょう。

なぜなら、そもそも完全に他者になりきるのは不可能であるため、困難です。

にもかかわらず、その瞬間は自身を脇に置いて、その人になりきろうとし続けるので、大変に心のエネルギーを消費するため、とても疲労します。

そして、自分が相手の感情に飲みこまれるような感覚に陥って、本能的恐怖を覚えたりもするでしょう。

まさに、「無味乾燥どころかその正反対のもの」です。

ロジャーズ、ナイチンゲールという対人援助の巨匠たちが極めた先に到達した本質が同一(同一は言いすぎかもしれませんが、かなり近縁とは思います)であるのは、なんとも感動的です。

 

 

(次回に続きます)