今回は、『看護覚え書』(フロレンス・ナイチンゲール著)に見る「こころ」の13回目です。
よろしくお願いいたします。
(P171 おせっかいな励ましと忠告 より)
歴史に名高いある人物がこんなことを述べている。この人物がある重要な決議事項を実施に移そうとしたとき、まる半年間というもの、来る日も来る日も、周囲の皆から、どれこれも似たような陳腐な言葉で忠告や勧告を浴びせつづけられたという。・・・(中略)・・・それにしても、そんな友人知人がたちがほんの一瞬でも頭を冷やして、患者はこの種の忠告を少なくとも五十回は聞かされてきたかもしれないし、もしこれが実行可能なことであれば、とっくの昔に実行に移されていたに違いないというふうに、ちょっと考えをめぐらしさえすれば、こんな問題はたちまちにして解消するであろうに。しかし、そのような思考はまず働かない。思えば人類はこうしたことに関して、二、三百年昔とちっとも変わっていない。これは奇妙なことであるが事実である。
患者さんから、周囲の方から色々なアドバイスをもらっていることをよくお聞きします。
「〇〇をした方がよい」といったものが多く、例えば、「食事はきちんと1日3食食べた方がよい」「夜はきちんと眠ったほうがよい」「朝にきちんと起きて散歩した方がよい」などです。
確かに1つ1つをとれば、どれも正しいものばかりです。
しかし、よく考えれば、これらは週刊誌やテレビでもしょっちゅう取り上げられる常識レベルのものですよね。
つまり、皆誰でも知っていることで、当然患者さんも知っているわけです。
患者さんは、「しない」のではなく「できない」のであり、それに一番悩み、苦しんでいるのは、他でもない患者さん自身です。
周囲の方もご心配されているからこそのアドバイスなのはよくわかるのですが、なぜこれが延々と起きるのかと疑問でした。
日本人の国民性なのかと思っていたりもしました。
しかし、ナイチンゲールが「看護覚え書」を著したのは1859年で今から約160年前ですが、ナイチンゲールが述べるには更にその2,300年前、つまり今から300~400年以上前から、実は同じことが繰り返されているようです。
これは、人種、時代を越えた、人類の本能、あるいは限界なのでしょうか。
私はこれ以上考察を深める知識を有してはいませんが、臨床現場に立つ一医師として目の前の患者さんに起きている現象には諦めないで向き合っていきたいと思います。
(次回に続きます)