今回は、『看護覚え書』(フロレンス・ナイチンゲール著)に見る「こころ」の3回目です。
前回の#2に続く内容となっております。
よろしくお願いいたします。
(P15 序章 より)
・・・私が述べた自然の回復過程をうまくすすめる要素のひとつまたは全部が欠けたために患者に現われる痛みや苦しみを、もしあなた方がすべて取り除いてしまったならば、そのときこそ、その病気から切り離せない症状とか苦痛とかがどんなものでかが、お互いに納得できるであろう・・・
(※註 「お互い」:ナイチンゲールと質問者)
②に続く内容です。
患者さんから、よく「(自分の症状が)病気によるものでしょうか?」というご質問をいただきます。
至極当然のご質問ですが、よく考えるとなかなかお答えが難しいご質問であるとも思っています。
なぜなら、このときにおっしゃっている「病気」とは何を指すのかによるからです。
②でもお話しましたが、精神疾患は言うなれば”環境依存性”の要素があります。
つまり、その方の置かれている環境によって、良くなるあるいは消失さえすることもあれば、悪くなることもあるからです。
それを含めて「病気」というのであれば、確かに症状は「病気によるもの」かもしれませんが、環境によっては無くなってしまうのも含めるのは、やや腑に落ちないようにも私は思ってしまうのです。
それはむしろ「病気によるもの」というより、「環境によるもの」という方が適切ではないでしょうか。
現代の日本語における「病気」は、通常は身体疾患(の概念)を前提としていると思います。
一般の方の身体疾患の概念は、”環境依存性”はなく、もっと狭く、自分とは異質で、固定性のものではないでしょうか。
それを精神疾患にあてはめた場合、狭義の精神疾患の症状とその周辺の症状があるように思います。
その診立てを患者さんにお伝えし共有していくことも、治療ではとても大切なことと私は思っています。
(次回に続きます)