今回は、『精神病者の魂への道』(シュヴィング著)に見る「こころ」の3回目です。
(引用元は G.シュヴィング著 小川信男・船渡川佐知子共訳 (1966) 精神病者の魂への道 みすず書房 です。)
よろしくお願いいたします。
P11 「関係性はいかにして確立されるか」 より
症例アリス 三十歳 緊張病
・・・(前略)・・・私は数日間いつも同じ時刻に三十分ほどベッドのかたわらに静かに坐ることにしていてた。三、四日の間は部屋の中は静かなままだった。そしてある日のこと毛布がほんの少しもち上げられた。・・・(中略)・・・「あなたは私のお姉さんなの?」と彼女が尋ねたのだ。「いいえ」と私が答えると、「でも」と彼女は先を続けた。「毎日あなたは私に逢いに来てくれたじゃないの、今日だって、昨日だって、一昨日だって!」
アリスは、それまで何ヶ月も毛布にくるまったままで、「まだ生きているのだということを示すなんの物音も身動きなかった」ようです。
シュヴィングは毎日決まった時間に会いにいき、ひたすらそばに居続けます。
そうしたところ、アリスはついに言葉を発するのでした・・・。
とても感動的なワンシーンです。
緊張病は後述しますが、簡単に言うと外界からの刺激に全く反応しない状態です。
まだ、有効な治療法がなかった当時はなす術がなかったと思います。
その中、シュヴィングは特別なことはせず、ただ”そこにいる”行動をとりました。
それが、アリスの緊張病を解いたのです。
今日、精神疾患への治療法には、薬物療法、精神療法、TMSなど複数あり、日々進歩し続けています。
それらを用いて疾患を治療していくのはもちろん重要ですが、その前提たる治療者の態度が軽視されることがあってはならないでしょう。
それは、”そこにいる”ことです。
対人援助の世界では、”そこにいる”ことをBeing、上記の何か施術等を施すことをDoingと言ったりします。
”そこにいる”とは、物理的な意味でそこにただ存在するということではなく、同じ空間、時間を共有し、相手に対してサポーティブに寄り添う姿勢を意味します。
病める人にとっては、外界は不安や、おそれ、恐怖で満ちているように感じますので、無意識的に防衛姿勢をとろうとします。
緊張病はその最たる一形態とも言えるでしょう。
そのような状態の人に対して、治療者は”そこにいる”ことで、自身が脅威でなく、安全な存在であることをわかってもらえ、こころを開いてもらえるのです。
”そこにいる”ことは、楽な姿勢ではありません。
治療者に試練を与えます。
「自分は相手に役立っているのだろうか?」「自分がやっていることに意味などないのではないだろうか?」と思ってしまいます。
しかし、それに耐えることで、真に治療者として対象者に向き合えるようになります。
アリスを数か月もの緊張病状態から解放したシュヴィングと、彼女が有していた奥深い人間愛や類まれなる耐性力、そしてそれが理論化される前に本能的に実践していたそのセンスには、畏敬の念を禁じ得ません。
※緊張病とは、全く外界からの刺激に無反応(昏迷)で、身体がろうそくのように固まって動かない(蝋屈症、カタレプシー)状態を指します(これ以外にも多彩な症状をみせるため、かなり複雑な概念です)。
かつては統合失調症の一形態とされましたが、今は他の疾患からも移行し得るため、独立して扱われつつあります。
現代では統合失調症自体が軽症化していると言われており、緊張病もかなり稀になってきていると思います。
(次回に続きます)