この度、新たなシリーズとして、
『精神病者の魂への道』(シュヴィング著)に見る「こころ」
と題したコラムを始めたいと思います。
(引用元は G.シュヴィング著 小川信男・船渡川佐知子共訳 (1966) 精神病者の魂への道 みすず書房 です。)
この書籍は、精神科医療に携わる者なら誰もが知っている、とても有名なものです。
シュヴィングは、1905年に生まれたスイス人の看護師(看護婦)です。
シュヴィング自身の有名な著作はこの一作のみと思われ、精神医学の発展に何か大きな業績を残した人物というわけではありません。
しかしながら、この著作は今なお多くの世界中の精神病者の援助に関わる者に感動を与えています。
それは井村恒郎元日大教授が、序文にも記しています。( ⅰ 序文 より )
世の中には、少数の人にしかその真価を知られていない清浄な良書があるが、シュヴィン グ夫人の「精神病者の魂への道」もそのような書物の一つである。
・・・(中略)・・・
学問的労作や文学的傑作を名著と言うならば、本著は名著に数えられないかも知れない。 しかし、どう控えめにみても、感銘ぶかい良書であることには、異論もないと思う。
ここで言う精神病とは、現在の診断名では統合失調症を指します。
現代でも、統合失調症自体は決して軽い病気とは言えません。
特に、治療法の乏しかった当時では、なおさらです。
この著作は、そんな時代に彼女が勤めていた精神病院で、精神病者を看護した記録です。
文章からにじみ出るその向き合う姿は、飾らず素朴で、しかし実直に誠実に、ただひたすらに精神病者を援助するものです。
そして、それが読む我々(精神疾患、特に統合失調症に向き合う)対人援助者に静かな感動と、ときに挫折しそうになるときに支えてくれる勇気と希望を与えてくれるのです。
初回の今回は、以下を引用しつつ、精神科治療に関する歴史を少し紹介したいと思います。
ⅱ 序文 より
現在の精神科治療の一大柱である薬物療法に用いる抗精神病薬が最初に世界に登場したのは、1950年のことでした。
1950年、フランスの製薬会社ローヌ・プーランがクロルプロマジン(現在の商品名:コントミン、ウインタミン)の合成に成功しました。
2年後の1952年、外科医のヘンリ・ラボリが麻酔薬とクロルプロマジンを併用したところ、精神症状に変化が生じることを発見しました。
クロルプロマジンは瞬く間に広がり、フランスからわずか翌年にはヨーロッパ全土で用いられるようになりました。
それまでは、精神科治療は瀉血、マラリア療法、インスリン療法、そして現代でも悪名高いロボトミーなどでした。
これらでは治療効果は十分には期待できず、副作用も大変なものでした。
特にロボトミーは、現在の医学では完全に否定されています。
そのような治療法しかなかった時代に、内服薬というアプローチはまさに画期的なことだったようです。
私がまだ研修医だったころ、当時精神科医になりたてであった先生の話をお聞きしたことがありますが、当時の日本でも、抗精神病薬の登場は大きな転換点だったとのことでした。
それまでは治療法というと、上記のほかに精神療法が大きなウエイトを占めていたようです(この精神療法とは、精神分析療法であるかと思います)。
しかし、いずれの治療法も、お世辞にも治療成績がよいとは言えず、全く病気を治せない状況に、当時の先生も失望していたとのことです。
そのとき、日本にも入ってきたクロルプロマジンという存在は、日本の精神科治療の流れを大きく変えました。
それまで精神科医の中で一大派閥だった精神療法が一気に駆逐され、薬物療法がメインストリームにとってかわりました。
その後、薬物療法が改良を続け進化するうちに、精神科医の仕事とは向精神薬を処方することであるという認識が生まれるようになり、薬物療法家(薬物療法を専門とする医師)が精神科医療の中心を担うようになりました。
当時駆け出しの私も薬物療法が精神科治療のメインであると思っていましたが、その先生は「歴史は繰り返す。また精神療法が盛り返す時代が来ると思う。」と仰っていました。
そもそも精神療法が何を意味するのかさえ知らなかった私はその意味を理解することは出来ませんでした(なお、”歴史は繰り返す”の意味は、今振り返るとおそらく、精神分析の登場によって、近代精神医学が大きく前進し、治療法として精神分析がメインストリームになった時代があったように、ということだと思います)。
しかし、私が精神科医として年数を積むうちに、確かに大きなうねりが起きています。
もちろん今も薬物療法が治療の一大アプローチであることに変わりはありませんが、精神療法として(精神分析療法ではありませんが)認知行動療法が大きく発展し、薬物療法に並ぶ存在となっています。
ガイドラインでも、病気やその程度によってはすでに認知行動療法がfirst lineとなっているほどです。
そして薬物療法を裏打ちする意味でも、精神療法の重要性が説かれています。
井村先生が序文を記されたのは、出版された1966年(または1965年など)と思いますが、すでに良識ある精神科医の間では当時の現状への危機感が指摘されていたことに驚きとともに、偉大な先輩たちの鋭い眼差しに脱帽する限りです。
(次回に続きます)