今回は、『看護覚え書』(フロレンス・ナイチンゲール著)に見る「こころ」の12回目です。
よろしくお願いいたします。
(P167 おせっかいな励ましと忠告 より)
現実には、善意はあるが厄介きわまるこの種の友人たちに励まされて、患者がすこしでも「元気づけられ」ることなど皆無なのである。※
※もちろん、たとえば初めての妊娠のばあいなどのように、医師や経験の豊かな看護婦などが、恐れを抱いて悩んでいる妊婦に対して、あなたのばあいは少しも異常はなく、2,3時間の痛みを我慢しさえすれば、ほかには何も心配はないのだと保証することが、いちばん効果的に元気づけるというばあいもある。これはまったく別種の忠告である。それは未経験者に対する経験者からの助言なのである。しかし今ここで問題にしている忠告とは、厳しい経験に耐えている者に対する未経験者からの忠告なのである。そしてこれは一般的には、どこそこの誰それの熱病が治ったのを誰それが知っているから《あなた》の肺結核も治るであろうと《私》が思っている、といったたぐいのものにすぎないのである。
ナイチンゲールが強い言葉で訴えているのは、それだけ強い思いがあるということでしょう。
not knowingとdo no harmという言葉があります。
not knowingは、いわゆる「無知の知」で、「自分が相手に対して無知であることを自覚する」ということです。
以前にこのコラムでも紹介しましたので、お時間あればご参照ください。
do no harmは、医師なら一度は聞く言葉です。
文字通り、「相手(患者さん)を傷つけない」という意味です。
私たちは、どうしても相手をわかったつもりになりがちではないでしょうか。
しかし、よく考えれば、他者を完全にわかることなど不可能です。
それを自覚せず、相手をわかったつもりで助言を与えるならば、それはharm(傷つける)になってしまうでしょう。
日々の現場でも、これを起こさないよう、自戒しながら診療にあたりたいと思っています。
(次回に続きます)