今回は、『看護覚え書』(フロレンス・ナイチンゲール著)に見る「こころ」の10回目です。
よろしくお願いいたします。
(P158 部屋と壁の清潔 より)
「癒(なお)らないものは我慢せよ」という格言ほど、看護婦にとって性質(たち)の悪い、およそ危険きわまる格言はない。
我慢と断念という言葉が、看護婦の口にのぼるとき、それは怠慢と無関心の言い換えにほかならない。
それは、自分に対しては恥を表わし、病人に対しては無責任を表わす。
negative capabilityという言葉があります。
これは、1800年代のイギリスの詩人、ジョン・キーツ(John Keats)が、シェイクスピアに見出した能力とされます(お恥ずかしながら、この言葉の出自自体にはあまり詳しくはないので、ネットで検索してください)。
決まった日本語はまだないようですが、意図するところは「『わからない』に耐える能力」です。
我々人間は、「わからない」事態は避けようとします。
なんとか理屈で合理的に説明しようとします。
もちろん、人間のそういう性質が、文明を発展させてきたわけではあります。
ところが、「こころ」においては、残念ながら「わからない」事態が多々発生します。
「人に、他者の『こころ』は理解できるか?」という、心理の世界の大命題から、もっと卑近的、臨床的な問題もあります。
しかし、あきらめるわけにはいきません。
あきらめたら、そこで終わってしまうからです。
そして、過去に辛い思いをしている患者さんを「再度」傷つけることになるからです。
「わからない、でもあきらめない」能力=negative capability、それが「こころ」を扱う者に求められる力です。
(次回に続きます)